どうやって本を作ろう
13 資金の獲得(後篇)
そのほかに、外部資金というものがあって、さまざまな企業などが社会貢献を訴えるために、研究資金を提供してくれる。もちろん、競争。気の利いた職場には「研究奨励金一覧」というマニュアルが作られていて、それを見れば「毎年の何月に、どのくらいの予算で、どのような研究テーマに、どのような年齢やキャリアの研究者に資金を提供する考えがあるのか」が書かれている。年間スケジュールみたいなもの。それがない職場の人は、あるいはいまだ非常勤の人は、インターネットを通して検索してみましょう。
テーマと研究資金あるいは出版助成などと書いて検索して、次第に絞っていけば、自分の望む研究が、どのような支援財団から資金を得られる可能性があるかが分かってくる。その申請書類の書き方には、やはりコツというものがあるので、そのあたりの事情をよく知っている先生や先輩などにその秘訣を具体的に教えてもらうとよいですね。
研究テーマを記す際に、どのような今日求められている視点を、衆目を引く的確な単語で入れられるのか? 研究計画は、どれだけ具体的な研究提携者やその組織、あるいはプロジェクトの内容を書くことができるか? 申請までにどれだけの研究の準備を具体的に進めてきたのか? どのような研究分野の研究主題を持つ研究者と一緒に進められるのか? いかなる先行研究のなかに自分の研究を位置づけることができ、それが従来の研究成果を生かすものであると同時に、それまでにはない独自の視点からの読み替えになっているのか? などです。
(ここまで前回「その壱」)
こうした外部資金と内部資金の中間に当たるのが、文科省の外郭団体に当たる日本学術振興会の科学研究費です。文系の研究者にとっては、現実には最大の資金源といえます。その大半を東大と京大など、旧帝国大学のトップが占めていることはよく知られています。しかし、大学の現役教員だけでなく、そこでキャリアを積んだ研究者を含めれば、ほとんどが彼らによって独占されている状態にあると言ってもよいでしょう。それは不正でもなんでもなく、やはり書き方のコツがあるのです。若いうちに、自分の研究者の教授の指示のもとに、こうした研究助成金に申請する書類を書き重ねていくことがとても大切なのです。
日本では、この科研費の書き方を身に着けてしまえば、外部資金はそれをモデルにして簡略化した形式を有しているものが多いです。ですから、アピール度の高い申請書が書けるのはまず間違いありません。そうすれば、文字起こしや推敲だけでなく、外国語への翻訳、国内外の研究調査、アルバイトの雇用、コンピューターやプリンターなどの設備、そして出版助成金など、さまざまな活動が可能になります。
とくに国際化を謳った今日の研究情勢の下では、海外渡航費を念頭に置くと、個人の私費で研究活動が賄えないことは、火を見るより明らかです。科研費も外部資金も、その獲得において大学間の格差が大きいですから、研究者を取り巻く研究環境もまた格差がさらに拡大していくことは確実です。嫌な時代ですが、生き延びるための対策を私たちも講じなければなりません。
国立大学が国営を離れて独立法人化したのは2004年のこと、それは、政府が国立大学の予算的な補償を放棄したと同時に、本来は科研費以外の、どの企業からどのような研究資金を獲得しても、反社会的な団体や活動のためでなければよいという、活動の自由化の機会を掲げたものなのです。
しかし、それに対して研究者の側が、国が支払うべき資金を渋って自分たちを見捨てたと、恥も外聞もなく叫ぶところに、いつまでも親方の日の丸におんぶ抱っこという、国家に依存した甘えの体質がみられると私は思っています。現在は、あらゆることが競争であり、イデオロギーであり、そのなかを自分の判断と腕一本で、どのように生き延びていくのか、よくもわるくも、その覚悟が問われている時代なのです。
しかし、ここで根本的な問題が一つあります。おそらく、日本だけでなく、世界中の大学制度の盲点です。
それは、既存の制度化された大学や研究組織に所属しないかぎり、科研費はもとより、研究財団の研究資金の獲得は極めて困難な状態にあることです。私がかつて高校教員として働いていた時期には、こうした研究費に預かることはおろか、そうした研究費が存在すること自体を知りませんでした。
いわゆる独立した研究者(independent scholar)と呼ばれる人たちが、困難な研究状況に置かれていることは、学問の機会の平等と発想の革新性を獲得するうえでとても深刻な問題です。制度化された組織に属する恵まれた研究者たちは、国家に対して自分たちをかつてのように依存させる方向で駄々をこねるよりも、もっと在野で苦労している独自の研究者たちのために活動を展開していくべきなのです。
【どうやって本を作ろう】 14につづく
磯前順一(いそまえ・じゅんいち)
1961年、水戸生まれ(いまは水戸と京都を往ったり来たり)。1991年、東京大学大学院博士課程(宗教学)中退。東京大学文学部助手、日本女子大学助教授を経て、2015年より、国際日本文化研究センター研究部教授。文学博士。
著書は『土偶と仮面――縄文社会の宗教構造』〔1994年〕以来、多数。近著に『ザ・タイガース――世界はボクらを待っていた』〔2013年〕、『死者たちのざわめき――被災地信仰論』〔2015年〕、『昭和・平成精神史――「終わらない戦後」と「幸せな日本人」』〔2019年〕など。