森のたより 樹のことば
「お花畑」の真相は(第2話)
[中島由理]
じぶんを守りぬいた猛者がつどうところ
庭の土を掘り起こしながら、山地でお花畑を作り上げる草たちの普段は見えない「根」の世界を実際に見るようになった。
庭のある一角は、もともとの先住民であるドクダミのお花畑となっている。
ドクダミは地下茎でひろがってゆく植物で、地上で数百本茂っているように見えても、地下茎で繋がった巨大なひとつの生命体であることもある。重機で押し固めた硬い土を果敢に突き進んで地下茎を伸ばしてゆく様をみると、荒地を緑に塗り替えるパイオニアの役割をも担っているのだろうか。
いつのまにか地中に張り巡らされたネットワークによって勢力をを広げ、新参者を飲み込んでしまうこともある。他の植物を植えようとして、少々退散してもらっても、何事もなかったかのようにまたたく間に盛り返してくる。地下で連携している別の拠点で得たエネルギーがすぐさま、失われた部分に送られるのだろうか。
近くに植えたさまざまな植物たちは、怒涛のように押し寄せるドクダミ群に日照を遮られ、足元をすくわれ、あえなく姿を消してしまった。
思えば、植えようとしたものたちは、遠い土地で生きてきたものたち、確かに、そこには場違いな、不似合いなものたちだった。
ドクダミは群れ咲いていると、白い花が爽やかで、ワインレッドで縁取られた葉は気品がある。
梅雨時は、外国産の美花は雨に打たれて哀れな状態になってしまうことが多いけれど、ドクダミの花は豪雨をものともしない。日本の梅雨時期に咲くからには、花弁は長雨にも耐える強靭な構造を獲得しているのだろう。
その花の白さが際立つためには、深まりつつある緑と重苦しい梅雨空でなければならない。雨が降り続くなかでも凛と咲いている姿は、雨で項垂れている豪華な薔薇よりも美しく感じることもある。この地は、ドクダミにこそふさわしい場所なのに違いない。
そんなドクダミ畑のただなかに、ギボウシを移植してみた。他の場所の同じ種類のギボウシより、かなり背が高く育っている。押し寄せるドクダミに飲み込まれまいとしているかのようだ。
ギボウシは非常に長命な多年草で、生を受けた場所で数十年生き続ける植物なだけに、守りは堅い。大きな葉を広げて日照を確保し、根は太く密で巨大な塊を形成している。
それでも、わずかな隙間にドクダミの根が入り込んでいることもあるのを見るにつけ、地下では大変な攻防が繰り広げられているようにも見える。
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山百合のような球根植物は、硬いボールのような根塊をもち、その陣地に他の植物の根が入り込むことは不可能な強固な城塞のようにも見える。ドクダミのような地下茎も、さすがにその砦を突破することはできず、しっかり陣地を確保している。
それでもあるとき、山百合が開花中にカミキリムシに根元から茎を噛み切られて、無残にも花もろとも地上部が倒されてしまった。万事休すかと思われたけれども、翌年にはさらに芽数も増えて咲いてくれた。
それまでに球根に、復活できるだけの余力を蓄積していたのだった。球根は、持ち場の確実な保全と、養分の備蓄のための方策でもあるようだ。
それぞれの在り方で、自分の領域を確保しみずからを守り抜いた草たちが、“花園”たり得ているのだと、土を掘り起こしながらその一端を見るようだった。
第3話(全三話完結)につづく