森のたより 樹のことば
「お花畑」の真相は(第1話)

[中島由理]

その地の潜在力を輝かせる生命

近頃では、人の危機感のない無防備な態度を「お花畑」と揶揄する表現を耳にする。ことばのつかい方としては違和感を覚えている。
自然界で“お花畑”であるということは、常にみずからの立ち位置を維持する、ありとあらゆる方策を展開してきた結果だと思えるからだ。

白馬岳のチシマギキョウの花畑――大きな葉はすでに咲き終わったウルップソウ

自然界で“お花畑”をつくりあげる植物たちは、その地に最適化して、常に自分の居場所をさまざまな工夫でもって守り、それでいて美しく多様なものと住み分けつつ、共栄しているようだ。


大地の条件はさまざまである。変化に富んだ地形があり、気温も湿度も違う。
植物たちは、その土地の条件に特化して最大限の力を発揮するように、みずからをその地に合わせている。その唯一無比の地にもっとも似つかわしいものが、その地の定住者となっているように見える。その土地に似合う限られた種類のものが住み分けしている。


花や葉の形状や色、大きさには、気温・湿度・高度・風量・雨量・土壌養分というような、その地の性格が透けて見えてくる。そして、その地の潜在力を最大限に輝かせている生命の象徴が「花」なのだと感じる。

朝日連峰に咲くミヤマリンドウ
周囲には、ひと足先に咲き終わったコイワカガミのつややかな葉が取り巻いている。
コイワカガミの葉がここになければ、この一角がこれほどまでにみずみずしく輝いては見えなかったかもしれない。

他の植物が生きられないような、生存にはきわめて厳しい荒地や高峰で、生きる術を身につけ、そこを住処としているものもいる。
他を寄せつけない高みで、孤高と我が道を極めるものたちにとって、競い合うということばは無縁のようである。

八ヶ岳の稜線のガレ場に咲くコマクサ
周囲に他の種類の植物はほとんど見られない。強風と乾燥に耐える切れ込みの深い葉、驚くほど深い根をそなえている。

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