森のたより 樹のことば
スプリング・エフェメラル
[中島由理]
長い地下生活を超えて、まっさらな始まりの季
広葉樹の森には、スプリング・エフェメラル(春植物)と呼ばれる、春先にだけ姿を現わす可憐な植物群が見られる。
花の姿がとりわけ美しいものが多く、小さく儚げな姿と、地上生活が短いことから、春の蜉蝣のように儚いもの―スプリング・エフェメラルという名で親しまれている。
このちいさな花たちが目覚めの時を迎えるためには、冬がなくてはならない。
大きなものも小さなものも、容赦なく休眠を余儀なくさせる、凍てつく沈黙の季こそが、ちいさな春植物の最大の味方ともいえるかもしれない。
スプリング・エフェメラルたちは、寒さが緩みはじめた頃、森の広葉樹が目覚めて葉を展開させる前の、そのわずかな間に花を咲かせ、すぐに実を結び、まだ春の日差しが遮られない間隙を縫って、長い地下生活のための糧と翌春の芽出しのエネルギーを蓄える。短い春の間に大急ぎで時を駆け抜けるように地上生活を営んでいる。
森が新緑で覆われるころには、地上部は完全に姿を消し、地下で十ヶ月にも及ぶ長い長い眠りにつく。
多年草ではあるけれども、地上に姿を見せるのは二ヶ月にも満たない。
初夏になると、早春の森を彩っていたスプリング・エフェメラルの姿はどこにもない。
森は初夏を彩る別の草花の天下となっている。
夏になるとさらに背の高い草で林床は鬱蒼とする。
とても丈の小さな植物が入り込めるすきがない。
樹々の葉も黒々と森を覆い、足元は薄暗い。
けれども、冬はその大きな草々を枯らし、強風と雪は太い茎をもなぎ倒してしまう。
背丈が高いものにも低いものにも冬将軍は容赦ない。
夏の間に森を賑わしていた強者たちも地表での活動を休止し、地下生活に入る。
天蓋を覆っていた広葉樹も葉をすっかり落とし、がらんとした明るい空間が開けてくる。
そうして、スプリング・エフェメラルたちの、まっさらな舞台が整うのである。
この愛らしい花たちに、影をさそうと抜け駆けするような樹々は、春植物が住んでいる森にはいないようである。
スプリング・エフェメラル以外の植物も、早春から葉を広げて太陽を独り占めすることができるように「進化」することもできたかもしれない。
けれども、どうやらそのような道は選ばなかったようだ。
背の高い樹々や草々は、まどろみの時を楽しむかのように、ゆったり目覚めの季を迎える。
この樹々たちも、ちいさな森の精たちの可憐な舞を楽しんでいるのだろうか。
まだ肌寒い明るい枯野に、真っ先に姿を見せる小さなスプリング・エフェメラルの姿はとりわけ眩しい。
春の陽差しを一身に受け、光り輝いている。
目覚め始めた森を歩く度に、困難な時を味方にして、うつくしく、みずみずしく枯野を塗り替えるちいさなスプリング・エフェメラルたちに勇気づけられている。
マスター
中島由理 (なかじま・ゆり)
京都市生まれ、同志社大学で哲学・倫理学を専攻。
自然の中での人の立ち位置を考えるなか“ほんとうの自然”を自分の目で確かめるため、自然農を試み、日本各地の原生林や高山を訪ね歩く。人の手の入らない自然の中に、驚くような調和とうつくしさを見つけて、「森」をモチーフに油彩・水彩で表現。現在、山梨県小淵沢町に居を移し、身近に自然と接しながら、制作を続ける。
●中島由理 公式サイト