森のたより 樹のことば
萌芽更新
[中島由理]
冷たい風が吹き渡る季節、雑木林の木々は沈黙を守っているかのようだけれど、時折木を切る音が響いてくる。
材にするにも薪にするにも、茸のホダ木づくりも、木が休眠している寒い時期がいい。
木を切るということにはかなり抵抗はある。
木に近づいてみると、思った以上に太く、相当に重い。その重さは生命の重さのようにも感じられる。
切り口を見ると、樹皮のすぐ内側は鮮やかな緑色をしていて、水気を帯び、冬季は休眠しているとはいっても生命活動を続けていることを肌で感じる。
一切皆伐のような大がかりな伐採は環境面でも問題を起こすこともあるけれど、
少しずつ使わせていただきながらの伐採なら、かえって林を若返らせて活性化させ、自然は恵みを絶やすことなく与えてくれるということを
ここににきて実感するようになった。
最近は街中にも雑木林の風情を感じさせる株立ちの木が植えられることが多くなっている。
多くの木は芽生えてから一本立ちで大きくなるが、薪として使われてきた雑木林では、薪にふさわしい大きさになると伐採する。
その切り株からは、何本も萌芽してきて、株立ちの姿に生まれ変わるのである。
その萌芽力には驚く。更地にしようと直径30cmくらいの小楢の木を伐採し地上部が見えないように深くまで切ってもらったのだが、毎年そこから何十本もの若芽が出てくるのだった。それを何度も全て抜き取っても、萌芽は数年間続いた。
里山を彩る木の多くは地上部を切ってもその個体は地下で生き続けていて、春になると勢いよく萌芽してくる。
令法(リョウブ)の木などは、小さな切り株からでも何十本も萌芽してくる。
新芽はすくすく育って、20年もすれば立派な株立ちの木に育つ。
リョウブであるという、その生命の核心は変わることなく、それまでとは全く違った新しい姿に生まれ変わるのだ。
真新しく再生した木々は、若木のように生き生きと花を咲かせている。低い位置で花開いたリョウブの花は、人にも芳しい香を届けてくれる。
雑木林の木は、見かけが細くて若々しい木でも、もしかしたらかなり古参の年長者なのかもしれない。
雑木を切って更新することで、その周りにも変化とにぎわいをもたらすこともある。
道沿いに張り出した幹を幾本か伐採して、風通しがよくなって明るくなった森には、足元にも新風が吹きはじめた。
目覚め季節がやってくると、それまで薄暗くてひっそりとしていた林床が、色とりどりの菫の花や、木漏れ陽に呼応するように青く輝く筆竜胆(フデリンドウ)花で彩られ、にわかに華やぎを見せている。
新年早々に届いた《木立の文庫》さんの案内に切り株のイラストが描かれている。
新しい季節の訪れとともに、その切り株から三本の新しい主枝が萌芽してくる気配がする。
どんな木立の風景がひらかれてくるのか楽しみである。
マスター
中島由理(なかじま・ゆり)
京都市生まれ、同志社大学で哲学・倫理学を専攻。
自然の中での人の立ち位置を考えるなか“ほんとうの自然”を自分の目で確かめるため、自然農を試み、日本各地の原生林や高山を訪ね歩く。人の手の入らない自然の中に、驚くような調和とうつくしさを見つけて、「森」をモチーフに油彩・水彩で表現。現在、山梨県小淵沢町に居を移し、身近に自然と接しながら、制作を続ける。
●中島由理 公式サイト
http://www.ne.jp/asahi/yuri/gallery/index.html