どうやって本を作ろう
9 語るヒント 語って得るヒント(c)

いろいろな場所へ「考えている内容」を持って行くのは、ミュージシャンたちの「ワールド・ツアー」のようなものです。

ある場所で一度おこなった講演を繰り返すのは、マンネリになるから避けなくては……などと考える必要はありません。ミュージシャンたちのツアーも、同じ曲目の演奏ですが、聴衆がどんどん変わっていく以上、演奏内容もどんどん変わっていきます。私たちの公演(報告)も、どんどん深みのある内容に膨らんでいきます。いろいろな聴き手の質問を浴びて、どんな質問でもびくともしないものへと成長していくのです。

むしろ、「何度も繰り返さなければ話というものは成長していかないものだ」と考えるべきかもしれません。そのときに自分が「失敗しないように」と、一方的に受け身になってはいけません。
「恥をかく」ことを恐れてはいけません。“負けるが勝ち”です。相手の技を受けてから、跳ね返していくのです。

プロレスラーの故アントニオ猪木さんが言うところの「風車の理論」ですね――コップ注がれた水の表面のように、その表面張力によって、そこに注がれる水量が増えれば増えるほど、その張力が描き出す表面の曲線美もまた見事なものになっていくのです。

同じ主題のもとにおこなった講演会場の一覧表を、日時を追って作っていくと、知らないうちにその内容が変貌を遂げていくことに気がつくでしょう。そこで私たちは、自分が「見知らぬ他者と対話する旅」の途上にあることを自覚するのです。

NYで「震災転移論」を報告(隣はタラル・アサド氏)

この『震災移転論』の執筆の土台となる講演を振り返ってみましょう。

出発点は、2019年のノースカロライナ、デューク大学のアジアセンターでした。そこから始まり、ニューヨーク・コーネルクラブでのポストコロニアルの翻訳会議、ポートランド州立大学の市民講座、シカゴ大学大学院のゼミ、ソウルの高麗大学災害学センターでの公開講座、アマースト大学や北京の精華大学のゼミ、吉林の北華大学での東亜研究所、台湾・新竹の交通大学のカルチュラル・スタデーィズでの会議、そして京都・同志社キャンパスにあるKyoto Consortium for Japanese Studiesでのアイビーリーグからの留学生、大阪樟葉の朝日カルチャーセンター。

そこから、さらにはUCLA、ソウル大、北京外語大学と転じようとしたときに、コロナ禍が起きました。

そのため、2022年3月に京都にある私の職場での催しでは、ズームでおこなえるようになっていたこともあって、その一端を挙げれば、西端はエジプト・カイロ大学から、スイスのチューリヒ大学の授業への生中継、ドイツのルール・ボッフム大学、インドのデリー大学、韓国の漢陽大学、中国の北京日本語センターでの授業、台湾の政治大学、太平洋を渡ってUCLA、東海岸のコーネル大学へと、大学や研究所を拠点に、東西を結ぶ大きな線が結ばれました。

もちろん日本でも、被災の経験に苦しんできた熊本の介護施設、広島のNPO、私の故郷・水戸のお寺、福島の温泉旅館、仙台の東北大学など、アカデミックな場所に限られない方々が多数参加したのです。

話をして、意見を交換して交流することは、ほんとうに計り知れない豊かな経験を、自分の報告や原稿に、そして何よりも自分自身に、もたらしてくれます。

それが時に誤解、あるいは別れをもたらす経験になるとしても、恐れを持たず進んでいかなければなりません。誤解や別れ、その“哀しみ”の思いを「かみしめる」とき、それがひとつの深い経験として、あなた自身を豊かにしてくれるのです。

【どうやって本を作ろう】 10につづく

磯前順一(いそまえ・じゅんいち)

1961年、水戸生まれ(いまは水戸と京都を往ったり来たり)。1991年、東京大学大学院博士課程(宗教学)中退。東京大学文学部助手、日本女子大学助教授を経て、2015年より、国際日本文化研究センター研究部教授。文学博士。

著書は『土偶と仮面――縄文社会の宗教構造』〔1994年〕以来、多数。近著に『ザ・タイガース――世界はボクらを待っていた』〔2013年〕、『死者たちのざわめき――被災地信仰論』〔2015年〕、『昭和・平成精神史――「終わらない戦後」と「幸せな日本人」』〔2019年〕など。

――被災地の沈黙する声に耳を傾ける(女川 2011年4月末)――

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