心と人と社会のセミナー
きたやまWebinar

第3回 コロナと日本人の心

こころが言葉になるとき

荻本快著『哀しむことができない』(木立の文庫)刊行記念

深層心理を論じる精神科医で作詞家の北山修(きたやまおさむ)氏をゲストに招くトークイベント。

このオンライン・イベントでは、参加者のPCやスマホ画面上で、

ホスト荻本氏とゲストきたやま氏が登場しトークを繰り広げます。

参加者は生配信の動画を見るように受講できて、画面に映らず、Q&Aに入力することでご質問やコメントを届けることができます。

第3回 コロナと日本人の心

指定討論:石川与志也(yoshiya)

このたびは、《コロナと日本人の心》にご参加(ご視聴)いただき、誠にありがとうございました。

569名の同志が「思い思いの場で想いを巡らせながら、おなじ時間を共に過ごす」という得がたい体験を、
閑かに、熱く、ご一緒できましたこと、大変うれしく存じます。

終演後にもたくさんのメッセージをお寄せくださり、ありがとうございます。
これをもちまして【きたやまWebinar】は休止となりますが、
木立の文庫の今後への応援の言葉や貴重なご意見もあわせ、今後の糧にさせていただきます。

木立の文庫《Webinar》窓口

これまでと同様、音声ファイルを公開します。

【きたやまWebinar】臨時企画(音声のみ)

参加者からのメッセージ

 あれとこれとを見る。現実をしっかりと見据えることですね。思考が挫折するですか。面白い言い方だなと思いました。今日は、我々の心の仕組みについて分かりやすく話して頂いてありがとうございます。コロナの件だけではなく、ネット上のあれやこれやでも、排除や内向の心の仕組みが動いている気がします。コロナの件だけでなく、インターネット上の匿名に基づく暴言関連でもぜひ、先生の論考を伺いたいと考えました。

 今回のお話を聴いていて、自分がどういう体験をするかというだけでなく、同じ現象により、自分とは異なる立場にあったりより傷つくことになる他者をどう考えるのか、それを考えることが自分に与える影響について、どう考えることができるのだろうかという問いを持ちました。

 この視点は、日本でのコロナ報道でも大きく欠けているところのように感じています。欧米の報道では、ホームレスや障害者の人たちがロックダウンをどう生き抜くのかという特集がパンデミック当初からよく報道されてきました。そのような自分のものとは同じではない体験や禍に対して怒ったり、行動を起こす人は欧米には多くあります(Black Lives Matterもそうだと思います)。このような動きは、日本では非常に起こりづらいと感じます。

 夕鶴で言えば、与ひょうの親や近所の人たちがツウについてどういう思いを持ち、どういう行動を起こすのか。社会問題に取り組む際に、この他者の痛みへの感情と行動はとても大事な視点のように思うのですが、先生は日本でのこのような視点(その存在・不在を含め)どのようにお考えになるでしょうか。

 以前から北山先生は精神分析は「がんに例えるなら痛みをかみしめていくこと、留めておく力をつけること」と何度も繰り返されていますが、実際には新興宗教のように「痛みはかみしめることなんてできない。すぐ病気が治ること」を選ぶ人のほうが多いような気がしています。こういう思考が多い中でコロナ渦の中で「あれとこれと」を勧めていくにはどうしたらいいでしょうか?

 それと本当の雑感ですが、きたやま先生はかつて頑なに「精神科医は楽屋を見せない」という姿勢を堅持しておられましたが、今回は障子のみでしたが、見る側は先生のたたずまいの背景について「与ひょう」のように想像力を掻き立てられるものがありました。

 私自身はzoomは使用していますが、webinnerは初めてでした。御社におかれましては今後もきたやま先生の企画や出版などの期待をしております。ありがとうございました。

 北山先生はじめまして。素晴らしいお話をありがとうございました。

「生き残るイザナミ、あわてないイザナキ。居座る夕鶴が与ひょうを変える」ここがとても心に残ります。日本人の血に流れている脈々と受け継がれた何かがあったとしても、自分の存在をしっかりと認めて、強くなってもよいのではないかと感じました。

 現状に対する「あれとかこれとか」という表現が目から鱗でした。まだ抽象的にしか咀嚼できておりませんが、「あれ」と「これ」を同時に見られてしまう日本人にとって、「あれ」だけを見られる潔さやわりきれる姿は、嫌悪感を感じる対象となるのかもしれません(政策において科学的姿勢が拒絶されやすい気がします)。わりきれないものへの嫌悪感があると同時に、わりきることへの嫌悪感もあるように感じます。
また、私たちは「あれ」か「これ」か、を明確にすることによる喪失感を共有しているのかも、とも感じました。神話において(何かを明確にしようとして)見てしまったときの「喪失」、「死」と通じるものがあるように思いましたが、喪失感という観点があるとしたらお伺いできますと嬉しいです。

 今回のテーマはコロナということもあり、自分でもまだ整理できていない状態です。実際に仕事面でも様々な影響を受けていて、それはコロナというよりも元々の問題が顕在化したといってもいいかもしれません。
ただ元の状態に戻ることはないだろう、ということだけはわかってきました。かといってまだ先が見えてこない今です。そんな状況で受けていましたので、先生の後ろの障子に一瞬鶴の影が見えたように思えました。実際は先生の指が鶴の羽にみえただけですが・・・。
感想といえるものも今は書けず、羽をむしり医療行為を受けながら反物を売って経済をまわしている・・・とでもいう状態です。

 数年前、北山修さんのラジオ「人生の紡ぎ方」を聴き、今回は「愛について」「コロナと日本人の心」をワクワクしながら、きたやまwebinarに参加させていただきました。至福の時でした。

 愛についてで、人と人が知り合う事は簡単ではないーなぜか安心しました。 コロナと日本人の心では、この頃のテレビを観ての感じを一言「あれとかこれとか」と言い表され感心しました。

 初めての参加でしたが興味深いお話が聞けました。

いつ何どき、思いもかけない(嫌な)何かが、誰にも起こる。

その時、(たとえすごく恥ずかしい思いをしても)「いさぎよく去らない」。エビデンスがあるからといって、正しいわけではない。…というような言葉が印象に残りました。

全体の感想としては、日本民話にもあるような「悪い行い」と「良い行い」というのを思い出すと素敵な物語を作っていけるように感じました。

つい最近、永六輔さんの「大往生」というベストセラーを今頃になって読みましたが、ユーモアがあり、笑えました。上を向いても下を向いてもいいと思いますが、前へ歩いていきましょう!

ありがとうございました。

 ご講演を拝聴して、ポジティブなものとネガティブなもののバランスを上手くとって、悲劇をハッピーエンドに変えるべく、私も、生き残ってやるぞ(身の丈の範囲で)という気持ちを新たにいたしました。

ありがとうございました。

コロナに罹患した人は、「まさか自分が!」という想いで、突然自分の置かれた状況が受け止められない気持ちになると同時に、一定期間、隔離生活を強いられる事で、[自分は汚れてる]という概念に囚われるのでしょう。……コロナと私自身の体験は違いますが、似ているのは、いつ、自身がその立場に置かれるかも分からない・他人事ではないと思う思考を持つ事が大切だということ。……コロナに感染された方が受ける非難も、共通してる部分が多いように感じました。そして、一定期間の隔離生活を強いられる事で生まれる孤独感・罪悪感。耐え難い苦痛だろうと想像されます。メディアで触れられてる[コロナ後遺症]も、もしかしたらそのようなメンタルとの関係もあるんじゃないでしょうか。

新型コロナウィルスと日本人の心、じっくり聴かせていただきました。2020年はコロナウィルスの話ばかりで滅入ってしまってましたが、きたやま先生がこれに切り込むと知って、どんな授業になるのかととても興味を持っていました。

恥の文化、という言葉を改めて見聞きすると、日本人は常に恥を意識している人種だと納得し、自粛警察が生まれる原因は、割り切れない嫌悪感の受け皿を求めている、という話も理解することができました。

自粛警察が昔より今の方がひどくなっていないか? との質問があった時、きたやま先生は、はっきり昔の方がもっと厳しかったと思うと仰ってましたが、ご自身も学生運動の時代に自分の歌のステージが壊されてしまった経験があるからなのかな、と思いました。

しかし、きたやま先生は『昔と今を比べてあれこれ言うのはしない』とか、『色々な経験をして、耐えて考え続けて現在に至っているから、考え続けることが大事なんだ』と強いメッセージをもらい、ストンと気持ちが落ち着きました。

大袈裟ですが、今後の新型コロナウィルスとの付き合いや、どんどん海外の様々な人種が日本に入ってくる状況に対して、今回得た知識を使って自分なりに考え続けていたいと思いました。

石川先生の指定討論では、笑いの大学にまつわる話も出てきて、嬉しかったです。石川先生に交代してからも更に視野も広がり、最後まで集中して聴くことができました。

きたやま先生、木立の文庫の皆さま、有意義な時間をどうもありがとうございました。

今回のセミナーで、大事だと思ったのは、次の二点です。

ひとつめ。

完全を求める人が、不完全と思われるものに出合うと、不安や不満を感じて、それが、攻撃的な形をとることがある、コロナ禍における他者への過剰な攻撃は、その表れだろう、私たちは、分からないものへの不安、完全でないものへの不満、というものと共存することを学ばなければならない、という指摘です。これは今後、「どうやって」ということも含め、ことあるごとに指摘してほしい、とっても大切なことだと思います。

ふたつめ。「中途半端」とは何か、ということです。これは例えば、コロナ対策で、欧米や中国のように、ロックダウンというような徹底した策を取らず、「自粛」「要請」という形容矛盾ですらある言い方を通し、それが、欧米などに比べると、一応の「成果」を挙げてしまった、このような「中途半端さ」は、日本に合っていたのかもしれない、ということです。ただ、この議論で注意しなければならないのは、明確な政策の誤りをきちんと指摘することを回避する論法として使われる危険に留意する必要がある、ということです。

このほかに、感想に属することですが、

①「あれかこれか」を迫るくせに、「あれもこれも」も許容する、何故か。先生は明確に言われなかったけど、面白い問題です。位相の違いでしょうか。どういう状況が想定され、そこから何が導かれるのか。日本だけのことか。

②「つるのおんがえし」で、つうが居座って

しまえばいいのに、というのは、面白いと思いました。ただ、話がそうなっていない理由の一つは、どうやって二人がそのまま暮らして行くのか、という問題があったからでしょう。鶴のままっていうことだと、村人が黙っていないでしょう。尤も、鴨のまま、という話があるそうですが。

③指定討論の人が、手を洗っていて苦笑いした理由を、「不安も洗い流していると思ったから」と言われていましたが、いろいろ小難しいことを日頃言っている人間が、こんな子どもでもやるシンプルなことを一生懸命やっている、結局は同調圧力に従っている、という、多少なりとも自虐的な思い、もあるのではないでしょうか。

④ユーモアの大切さを挙げられていたのは、その通り、と思いましたが、「東日本大震災の時の経験」と言いつつ、その具体例を示されなかったのは残念です。もしかしたら、阪神淡路大震災の時と共通のものがあったのでは、と思ったのですが。

石川与志也先生から

コメントをお寄せいただきありがとうございます。

改めて振り返ってみると、ウェビナーのプログラムは、私たちが物理的距離を超えて繋がることができた不思議で刺激的な時間でした。あの時間、あの場所で生み出されたものがあったところに、このタイミングで今回の企画を行えたことの意義があったと感じます。

なかなか先行きの見えない状況ですが、神話の視点から日々の体験を見つめ直し、またジョークやユーモアをはじめ人間の文化の中にある智慧を用いながら、わたしたちが、思考停止になることなく、自分自身と他者のこころを大事にしてこの状況を生きてゆくことができればと願います。

※ 電波の問題等で、聞き取りにくかったり、音が飛んでしまったりするなど、お聞き苦しいところがあり失礼いたしました。その部分を当日のパワーポイントに一部加筆して掲載いたします。個人的な使用のためのみにお用いください。

きたやまおさむ先生から

皆様

【きたやまWebinar】三回を何とかこなせて、大過なく終了できたことを、第一に喜びたいと思います。

 そして今回は、日本のコロナ対策における「中途半端」の生成を、今・ここで示し得たことは最大の収穫でした。私を含めて、関係者はそのことに感動していました。それと、「見るなの禁止」の物語は使い勝手が良くて、私たちの今ここの問題を考えるのに相応しい素材であることが、このコロナ禍においても分かり、それなりに納得しております。

 例えば、私たちが同類幻想に執着して、異なる他者(異類)を思い描けないところも、物語には描かれています。〈与ひょう〉は最後まで人間〈つう〉が鶴であったことを見抜けておらず、ただ呆然と立ち尽くすのみなのです。

 しかしながら、多数とタブーについて語るのは、やはり難しいところがあることを痛感しました。というのは、差別について語り合いながら、一部の問いかけをどうしても(時間のせいと内容的に)無視せねばならないという構造的矛盾についても、いつか上手に取り上げたいな、と今では思います。例えば、Q&Aにおける「私をどうして無視するのか」という問いには、今は割り切れないものがあります。

 その意味でも、ここで公開  Webinarは、先の展望のないままで休止してよかったと考えます。

 他方9月からは場を変えて、白鴎大学にスポンサーについてもらっていろいろ雑事を捌いてもらいながら、三回くらいやることにしました。

 同時に、来年こそはオンラインではなく、ライブでリアルな講演会開催を期待しているのですが、計画ばかりで実行の目処が立たないのが現状で、まことに寂しいかぎりです。           

きたやま おさむ