心と人と社会のセミナー
きたやまWebinar

第1回 心について

日本の文化・言葉・歴史から学ぶ

荻本快著『哀しむことができない』(木立の文庫)刊行記念

深層心理を論じる精神科医で作詞家の北山修(きたやまおさむ)氏をゲストに招くトークイベント。

このオンライン・イベントでは、参加者のPCやスマホ画面上で、

ホスト荻本氏とゲストきたやま氏が登場しトークを繰り広げます。

参加者は生配信の動画を見るように受講できて、画面に映らず、Q&Aに入力することでご質問やコメントを届けることができます。

第1回 心について

指定討論:荻本快(kai)

このたびは、当公開講座にご参加(ご視聴)いただき、誠にありがとうございました。

開演中にいただいた多数の質問には足早にお応えすることしかできず、心残りもありましたが
みなさまとの交流の時がもてたことをうれしく思います。

終演後にも感想をお寄せくださり、ありがとうございます。
Webinar 開催への応援のお言葉や貴重なご意見もあわせ、今後の参考にさせていただきます。

木立の文庫《Webinar》窓口

当初は、公開講座を録画しYouTube等の動画共有サイトで発信する予定でしたが、編集上の都合により、音声ファイルのみを当サイトにて公開します。

第1回【きたやまWebinar】(音声のみ)

荻本先生へ

ゴーラーの話は非常に面白かったです。両性具有性という側面もあるかもしれませんが、昔話や民話というのはある意味で、教えや社会規範の反映でもあるわけで、そういう意味では、異種排斥(恥ずかしい思いをして消えるのは異種であり、男と女であれば、社会的にはそれを女性が押しつけられるというのか引き受けさせられる)という通念の醸成のように私には見えました。
今日漠然と考えていたのは、女性優位の社会であったことは、恐らく聖書以前のユダヤ世界もそうだったのかもしれないということです。ユダヤの色をひきずっているカトリックでは聖母信仰強いですからね。
でも、確かに北山先生のおっしゃるように、女性が優位であると、出産という特殊事情があるかぎり、いつ崩れるかわからない危うさを内包した社会体制になっちゃう。それを男性側に転じさせるという動きは恐らく、世界中で同じ時期に起きたのではないですかね? 聖書なんて、本当に、男性が優位の社会を作るための教科書みたいですもんね。
でも、今日話を聞いていて思ったのは、聖書は男性中心社会を、ある意味日本の封建社会のように目指すのだけれど、その中心に父性ではなくて父性愛があるんですよ。でも、日本にはないなぁ。今日、そんなことを考えながらお話を聞いていました。

荻本先生から

積極的に感想を寄せてくださり、どうもありがとうございます。
聖書以前(女性優位社会)聖書以後(男性優位社会)という社会の変化として捉える問題意識は非常に興味深いです。
「いつ崩れるかわからない危うさを内包」していることを描いているのが「見るなの禁止」理論なのだと思います。そのような内包が生じているのは「社会体制」なのか、「個人のパーソナリティ」なのか、受け取り方は様々なのではないかと思います。この間隙に、議論をする場が生じるし、社会的な考え方をする方と、個人の心的プロセスに関心のある方が共に働いていくべきテーマを見つけられると感じます。物語、神話を学際的に探求していく面白さですね。

北山先生へ

私たちは単純に、異類婚という禁忌に触れたことが明るみになってしまったので、鶴は去らざるを得なかった、と思っていました。しかし、ここには、みにくい姿を見られたから、という解釈があるようです。それは夫のイザナキに、醜い姿を見られてしまったイザナミと共通するものがある、ということなのですね。

北山先生は母子共視像について語るとき、できるだけ第三項、つまり父親・男性性への言及を避けてらっしゃるかに見えています。でも、だからこそ、そこに問題の核心があるのではないでしょうか。

気になって海外の童話「グリム童話集」を読み直しました。特に「かえるの王さままたは鉄のハインリッヒ」です。
泉に落としたまりが欲しいために、お姫さまはそれを取り戻せるためには友達になるという約束を かえる とします。まりを手にしたお姫さまはその約束を忘れますが、お城に帰ってから王さまに「約束をしたことは守らなくてはならない」といわれその約束を渋々守ります。その後エスカレートしてくる かえる の要求に、泣きだし嫌だというお姫さまに、王さまは怒って「約束を守るように」と命じ、お姫さまはどうしても王さまに従わなくてはならず、自分の部屋に帰ってから かえる を壁に投げつけます。 すると、かえる は死なずに美しい若い王子になっていました。
このストーリーを読んで、日本の昔話との違いとして。
①最初から異類と契約を結ぶ
②その約束を最後まで守らなくてはならないという父性の存在
③表面上は守りながらも陰ではその命令を拒否するという娘
④その結果手に入れた幸福
昨日の中にも先生が「かえるの王さま」をあげていらっしゃいました。異類婚として東洋と西洋の違いで成立するか、旅立ってしまうかということをあげておられたように思います。
私自身最後にはハッピーエンドになる西洋のこの童話の根底に、父性の枠というものがあるように感じます。そこに最初に救済があるのではなく、契約をしたことを最後まで守るという、「見るな」といわれたことを見てしまう日本の物語との違いを感じます。ただ③の最後には、王さまの言いつけに背くお姫さまの行動を自立と簡単に言い換えていいのか・・・そのあたりまだ整理できていない状態です。
そして長くなりますが、先生の図にあったエンドレスに続く日本の物語の構造です。
先生がいわれた、自分が鬼なのか福なのか、自分が汚れているのか他人が汚れているのか。あちらがこちらで、こちらがあちらでもある…。それを考えてあの図を見てみると、「与ひょう」であり「つう」でもある。「つう」であり「与ひょう」でもあるのか…と思うようにもなりました。「救済」のための「後悔」であり、「後悔」のための「救済」であるのかもしれません。互いが合わせ鏡のように必要不可欠なものなのが日本的なものかもしれません。それを契約としてあちらとこちらに分けることが可能な西洋との違いでしょうか…。
そのエンドレスな物語に関心すら持てない現代の若者がもし物語に参加するとしたら、契約をするという西洋的な物語への参加の仕方なのかな…とチョット思いました。

北山先生から

皆様、どれも興味深い感想を、ありがとうございます。多くの方々が「父性」や「第三項」の不在を上げておられます。特にヨーロッパの「蛙の王様」と比較するなら、日本の異類婚姻説話ではそこが際立つことは、私も指摘してきています。しかし、父か母、男か女、のどちらかの問題であるというよりも、〈与ひょう〉や〈つう〉のどちらもが私たち中にいて、父性も母性も私たちの中にあることを忘れないで、議論を続けたいと思います。

以降もWebinar講座のなかでのQ&Aにつきましては、私はどのような内容でも読みたいと思います。しかし、個人を特定してしまうプライベートな内容は、質問者のお名前は公開しないようにし、書かれたものとしては、当日の画面でも公開しないというのを、原則にしたいと思いました。また、他の方のお名前や個人を特定する情報は、読み方を工夫することが必要ですね。そのためには、スタッフの誰かに並行して読んでもらい、私に注意喚起をしてもらう、というような設定も試みたいと思います。例えば、黒子的アシスタントに活躍してもらうという設定も可能でしょう。

次回の《公開Webinar》は、同じく木立の文庫のお世話で、本年【6月22日(月)夜】を予定しています。テーマは、第1回目の内容を受けて少し前回のことや感想について話してから、あのポリフォニーのような「ああでもないこうでもない」状況を生かし、日本語から臨床に役立つキーワードを一つか二つか選んで、多角的に検討するという企画を考えています。
我らは奇怪な「ぬえ」なのか美しい「コラージュ」なのかというような在り方が、このWebinarには向いていると思います。この世のどこにもないような時空間が、この「感染」の騒ぎで、 にわかに注目されていることも踏まえています。
指定討論は、引き続き荻本先生にお願いしました。