身になる禅のことば
◆禅は急がず 日々“こころとからだ”を研ぎ澄まして◆
禅語はしばしば、“精神”修養の指針や標語として引用されたり、またそのようなものとして解説されたりしています。もちろん、それはそれで結構なことでしょうが、私はもっとソマティックな、つまり“身体”的な文脈で禅語を理解できないものか、と愚考してきました。禅語のすべてではないにしても、かなりの数の禅語は、われわれの“生身のからだのあり方”についての禅からのメッセージとして受けとめるべきではないかという気がしてならないのです。
禅は日々の修行を通して“真実を自分の身に体現する”ことを何よりも大切にする伝統です。「お前が悟ったというのなら、悟った域をここで見せてみろ」と言われるのですから、禅語は最終的には“身になる”ものでなければならないはずです。
このたび、そのような「身になる禅のことば」と思われる禅語を自分勝手にいくつか選んで、短い評釈を加えるという連載の機会を与えられました。この目論見、果たしてどこまでうまくいくのかわかりませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。
――藤田一照(世界でいちばん動ける禅僧)談 (2019年/春)
柔軟心 その壱
更新|2019年8月26日
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