第2回【きたやまWebinar】を終えて

第2回【きたやまWebinar】

第2回【きたやまWebinar】

2020年6月22日(月)20:00(〜21:30)終了しました。

このたびは、《愛について》にご参加(ご視聴)いただき、誠にありがとうございました。

600名を超す同志が「思い思いの場で想いを巡らせながら、おなじ時間を共に過ごす」という得がたい体験を、
閑かに、熱く、ご一緒できましたこと、大変うれしく存じます。

終演後にもたくさんのメッセージをお寄せくださり、ありがとうございます。
【きたやまWebinar】の今後への応援の言葉や貴重なご意見もあわせ、大いに今後の参考にさせていただきます。

木立の文庫《Webinar》窓口

第1回と同様、音声ファイルを公開します。

第2回【きたやまWebinar】(音声のみ)

こちらから再生いただけます。(音量にご注意ください)

以下に、終演後に届いたなかから、講演内容に触れられたメッセージを、銘々のご承諾をもとに抽出して掲載いたします
(当方へ届いた順の無記名掲載となります)。

付して末尾に、両先生からの「総合コメント」をお届けします。
当日も案内のありましたように、内容への「質問」は講演中のチャット機能でのみ承りました。
事後のご質問に直接お応えすることが出来ませんことを、あしからずご了承ください。

▼▼ 参加者からのメッセージ ▼▼

○見てはいけないものも見てみたい与ひょう化現象は、知りたい、見たい、聞きたいから、会いたいにゆっくり時間をかける間も持たせない。
そして「心と心がもう通わない」へと一足飛びに飛び立っていく…。

「あの素晴しい愛をもう一度」と歌いながらも二度と帰ってこない時間。《あの素晴しい愛をもう一度》に四番が付け加えられるとしたら、先生がいわれたように、時間をかけること、時間が解決してくれること生きていて良かったということが、希望の灯になっていくのですね。
もし与ひょうに父親がいて、昔手放した「あの素晴しい愛をもう一度」という教訓を与ひょうに伝えてくれていたら…。約束事を守るということを、生きていたら自らの経験を伝えていくという大事な使命があるということを思い出してくれたら…。
日本的な新しい物語が紡ぎだせるのではと思ったりするのですが…。

この webinar は合間をとること=時間をかけていくこと。
会えてないわけではないけれど、密になるわけではない。
物足りなければ退場すればよいという合間も取りながら、時間を重ねていく。
ただこの webinar がなければ先生にこうして感想を送るチャンスさえなかったことを思うと良い時期であったと思います。ご縁があった時期だと感謝しています。

○北山修先生なのですね、50年前、杉並公会堂で、ザ・フォーク・クルセダーズのコンサートで初めてまだ医学生のきたやまおさむさんがベースを抱え演奏し歌う姿に衝撃を受けてから、お互いに半世紀経ちWebというツールでお目にかかれるとは、生きていてよかった!!️と、昨夜の話ではありませんが本当に思いました。

お話の内容は、まあ少し噛み砕いてみなければ把握できませんが、子育てを終え、いまは、孫6人のため、と言うより、娘たちのために日夜、送迎担当のドライバーとなって…(笑)これも求められるところで咲いている…との思いで……そのような時に、この講座を知り、青春の一ページでもある「きたやまおさむ」さんのとても素敵なおじいさまになられたお姿とお話しを聞けて、幸せな時間でした。ありがとうございました。
○日本人は「愛してる」は言わないけど、「三密」が好きなんだなと。
郷ひろみさんではないですが、今は♫「会えない時間が愛育てるのさ」の時期ですね。

「共視」といえば、暗い空間で同じ映画を観る映画館、ミニシアターは“愛溢れる空間だった”と納得しました。DVDでなく早くいい映画を思いっきり観たいと思いました。

分かり合いのためのプラクシスでは、日本と韓国や北朝鮮、韓国と北朝鮮など国どうしの関係にも当てはまるんだなあと思いました。粘り強く相手の事を考えながら話し合いを続けることしかないですよね!

次回も楽しみにしています。ありがとうございました!
○大きな会場での講演会と違い、きたやまおさむさんを身近に感じ 2時間があっという間でした。
メモを取ったり、お茶を飲んだり、辞書で調べたり、笑ったり、リラックスして聴くことができました。また、学問の面白さに触れることができ楽しい時間でした。

学校でのいじめを耳にした時に、「相手を尊重しよう」と よく子どもたちに言います。
この尊重するとか、リスペクトするとか、相手を許すなどは、「愛」という言葉で説明するとどのようになりますか? アガペーや、恕という言葉は、 講座での「愛」や「合う」と どのような違いがあるのでしょうか?
○目が合わないはずのzoomですが、きたやまさんが「生きていてよかったね」と最後のほうにおっしゃったときに、思わず涙が出そうになりました。目が合うわけではなく、同じ空間にいるわけではありませんが、見守っていただいているような感覚でした。
私にとって、心や魂を慰撫していただいたような一言であり、セラピューティックな体験となったことをお伝えし、御礼申し上げたいと思いました。

この数ヵ月の体験を抜きに、きたやまさんのお話を聞くことはできませんでした。
この数か月のあうこと・あわないこと、相手がこの世に生きていてくれるしあわせ、あわないことがしあわせになりうること(自分が相手を害することは恐ろしいですもの)、そういった体験と思考を想起して、ぐるぐると頭のなかをまわり、「生きていてよかった」の一言に集約してもらった気がしたのです。

それだけではなく、見るなの禁止令に蛙の王子様の物語が付け加えられるかもしれない可能性にとても興奮しました。
見るなの禁止令で別れて終わりだと、関係性を続けるためには禁止の約束事はしないが一番ということになってしまいます。そうではなくて、続きを紡ぎうる可能性や希望を灯してもらったことが、すごく嬉しくて、楽しくて、幸せなイメージをかきたてました。
異類混交状態となった対象が、対話を経て、再び人の姿になる。人と人として交流できる。
その希望を持って、心理臨床の営みを続けていきたいと思いました。

久しぶりにきたやまさんの声を聞けたことが嬉しかったと同時に、先生の理論が進化されていることを感じ、もっともっと学びたいという気持ちになりました。
○我が青春を謳歌した高校生の時以来の再会でした!
題目の「愛について/こころが言葉になる時」にはちょっと不安があったのですが、横浜で45年在住の私が忘れかけてた心の温もりが蘇り、キャンプファイヤーの焚火のようでした。

荻本さんとの会話もお二人の関係が垣間見られて心がほぐれました。
有難うございました(╹◡╹)♡
○作詞家でもいらっしゃる北山先生の言葉に対する造詣の深さと、精神分析における言葉のもつ意味など、深く感銘を覚えました。

特に、「相手役を変えて心の台本を繰り返す」ということが、心に響きました。
自分を振り返っても、周囲の人とのかかわりで、今までに何度も同じような気持ちを味わったり、傷ついたり、反省したりしてきたのは、相手のせいばかりではないこと。自分の心の台本の筋書き通りに自分が対応してきていることが、その一因であると思い至りました。

現在聴覚障害者に対する援助を行っていますが、頭の片隅に置いておきたい言葉だと思いました。
次回も楽しみにいたします。
○コロナ問題に端を発した、新しい生活様式「ソーシャルディスタンス」を「つながらないつながり」と捉え直すという考え方を、目からウロコが落ちる思いで聞きました。
考えてみれば、日本語には「つかず離れず」「間合い」「間を置く」など、ある程度の距離を保つことに意味を見出す慣用的表現が少なからずあります。北山先生が朝日新聞のデジタル版で言われていたように、今回の非常事態宣言中の日本を見ていると、「みそぎ」や「清め」といった神話的思考が有効に働いたと同時に、ある程度の距離を保つという考え方もあったのではないかと思いました。

「つかず離れず」などの慣用的表現は「甘え」の密着性とはベクトルが異なっていますが、この両者を結び付ける考え方も日本語にはあるように思います。それはたとえば「切っても切れない縁」という表現です。離れていても関係は切れることがないという価値観が、日本にはあるのではないでしょうか。
ただ、これらの慣用的表現や、そこに込められた考え方は、きわめて情緒的なものであるように思います。これを、しっかりとした論理として、日本的な「ソーシャルディスタンス」に鍛えなおすことが出来れば、国際的にも意味あるように思いました。

《あの素晴しい愛をもう一度》は懐かしい歌ですが、この歌を口ずさむと、私は古今集の歌「さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(巻三)を思い出します。もう会えない人の名残を愛おしむ情緒は、《あの素晴しい愛をもう一度》に引き継がれているように感じます。そして、この美しいメロディーを、橘の香りのように残して逝った人の面影が、今も目に浮かびます。
○北山先生の深いお話が、新しい視点で「あい」を考えるきっかけになり、楽しむことができました。

一方的な情熱に後押しされる愛や、甘んじて受ける愛だけでなく、心の通じない「あい」、間に違和感のある「あい」、これらも広義の「愛」であるということが、今まで自分が感じていた「愛」の窮屈さを突き抜けた感じであります。
また、二人が横並びになり「共視」することで、心と心の通い合わない間も、時間をかけることで分かりあいうるということに、悠々とした希望を持つことができました。

全体的に、北山先生のお話を拝聴して、大事な人との関係において、視野が広くなった気がいたします。
○ひとことで[あい]と言っても日本には色んな[愛][合][会]などが存在してますね。
[間]が現代社会における所謂ソーシャルディスタンス的な意味を兼ね合わせた[あい]だというのはとても納得出来ました。

それと、きたやま先生が作詞された《あの素晴しい愛をもう一度》の曲が、改めて素晴らしい名曲なんだ! と感激いたしました!

スライドを見ながらの先生のお話は言葉だけではないので、心に残りやすいですね。

愛らしいものに触れたい・抱きしめたい気持ちは人間の当たり前の心理ですが、触れないで愛する(遠くから見守る)事もある意味で“愛の形”なのかも知れませんね。

zoomで視線が合わないという話も出ていましたが、“心の目”は、600人を超える皆さんと焦点は合っていたように思います。
私は、zoomでの公開講座なり会議なり、プライベートな空間でラフに向き合えるのは有り難いです。

[あい]には、色んな[愛][会][合][逢][相]がある中で、
私は、ずっと[あい]=[遭・哀]しか浮かんでいませんでした。

日本人は、私もそうですが、 『〜〜思う』と『想う』の使い分けをします。
『聞く』と『聴く』の使い分けをします。
[会う・逢う]も、嬉しい時や喜ばしい時にだけ使うのでしょうか。
単なる使い分けによる[遭い]ですか?
『悲しい』と『哀しい』/『寂しい』と『淋しい』/『喜び』と『悦び』『慶』『歓び』/『幸せ』と『倖せ』 何が違うのでしょうか?
○クラッシックバレエの指導に携わっておりますが、思春期の子どもたちなど、バレエ技術よりもむしろ心の問題に取り組まなければならない場面も多いため、とても励まされました。バレエは卒業がありませんし、やめてもまた始められますので、長い時間をかけることができることそのものを、ありがたく考えようと思います。

後半、とくに指定討論以降、自分の勉強が足りないせいだとは思いますが、少し「取り残され感」を感じました。言葉の理解に、このあとゆっくり時間をかけたいと思っています。
○「愛」から「御大切」へ、 さらには「会い」、もしくは「合い」へと
スリリングに展開していく講座を拝聴できて
とても楽しかったです。

少し前に、ネットで「education」の和訳を
「教育」としたことで、上の者が下の者に知識をさずける
という、日本式の一方通行型授業が固定化してしまった、
という意見を目にしたばかりだったので、
妙なシンクロニシティー感を覚えてしまいました。
○幻滅の場所に踏み止まってどうやってそこに居続けられるか、そこから台本をどう書き換えるか、という課題にずっと私たち北山ファンも向き合ってきましたが、昨晩の「あい」についてのレクチャーは、一つの突破口が開けた感がありました。

1971年にご自身が作った歌を、ある意味自己否定しながら、またあの時代そのものの限界をしっかりと言語化して、「あい」とはそういう青年期的な潔さとはちがう、時間をかけることそのものに価値があるような「あう」行為のもつ未来に開かれた生きることのよろこびなのだと、今の心境をそのまま語られた。

Zoom論もとてもおもしろく、現実的にも有益でした。何よりもあの空間で語られる北山先生自身が、リラックスされて私たちの知っているきたやまおさむさんであったことが、600有余名の「参加者」にも心地よかったと思います。
○月が綺麗だね、という愛の表現の形、共同注意の世界と考えると、乳幼児でいえば、相手の心という存在が分かり始めた頃でしょうか。 発達的にもとても大きな変化の時期であり、人との繋がりという点で、心動かされる体験があると想像します。

愛という抽象的な言葉ではなく、新しい愛が芽生えた、共有注意の世界を味わうことが、愛の表現になっているというのが、とーっても興味深く、面白かったです。 土居健郎先生の、甘えの構造をもう一度読んでみます。

直接北山先生の勉強会に参加することは難しかったと思うので、オンラインはとても嬉しいです。次も楽しみにしています。
▲▲ 荻本 快 先生から ▲▲

●多くのご質問とコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
日本語の「あい」が「間(あわい)」の意を含むという考えは、北山先生の『意味としての心』(みすず書房)に記述があります。
お読みいただくと必ず新しい発見があると思います。

▲▲ きたやまおさむ 先生から ▲▲

●数多くのコメントをありがとうございます。しかし、幅広く多岐に渡るものでまだまだ消化しきれていません。特に皆様の、他にもこういう言葉、ああいう言い方があるという指摘はとても嬉しいです。というのは、それで私の考えてなかったことに言葉で出会えますから。私の感想では、「あい」についての思考を柔軟にして、そういう言葉の連想が広がることを狙っていましたので。よって、今はいちいち回答すべきものではないと考えています。

下記は、私の提示した絵をもっと見たかったのによく見れなかった人のための参考文献です。
書籍:『最後の授業――心をみる人たちへ』(みすず書房 2010年)
DVD:『きたやまおさむアカデミックシアターvol.3 悲しみは水に流さず』(ジャンプコーポレーション 2012年)

では、8月3日開催予定の臨時Webinarの準備に入ります。
きたやまおさむ

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