リレーエッセイ「こころとからだの交差点」

第二話 こころとからだの関係

[齋藤清二] 


みなさんは「こころ」はどこにあると思いますか?

 医学や心理学の専門ではない高校生や大学生への授業や講演などで、私は冒頭にこのような質問を投げかける。さらに重ねて、以下のように問いかけ、挙手してもらう――『こころは頭のあたりにあると思う人は? こころは胸のあたり、心臓のあたりにあると思う人は? 頭でも、心臓でもない、それ以外のどこかにあると思う人は?』。そして、以下のように続ける。

 こころがどこにあるかについての感じ方は、ひとりひとり違います。時代によっても変化します。それでも私たちはたいがい、「あたまには、ものごとを合理的に考える働きという意味での“こころ”がある」というように感じます。胸や心臓のあたりには「胸がキュン」とする歓びや、「胸が締め付けられる」ような苦しさを感じる“こころ”があります。 あたまとしてのこころを私たちは「思考」とか「認知」とか「マインド」と呼び、好きだとか苦しいというときのこころを「感情」とか「ハート」とよびます。そしてこれらの“こころ”は“からだ”あるいはボディに支えられており、密接に関連しています。しかし現代では、忙しすぎる生活のなかで「あたま」と「こころ」と「からだ」はお互いにばらばらに切り離される傾向にあり、そのことが多くの問題を引き起こしています。例を挙げると……。

 このようなイントロをへて、具体的な「こころとからだを巻き込む健康や病気についての話題」に話を進めていく。それは〈過敏性腸症候群〉だったり、〈摂食障害〉だったり、もっと一般的な〈心身症〉だったり、時には〈自傷行為〉や〈自殺〉といった深刻な話題だったりする。多くの場合、生徒や学生さんたちは目を輝かせながら聴いてくれる。このようなことを話すと手応えはある。
 しかし、ちょっと待てよ、と私は考える。“こころ”と“からだ”を別のものと考え、それについていろいろ考えをめぐらせ、そのふたつが実はつながっていると訴え、さらには「心身相関」などという大袈裟なことばを用いて説明する。……わざわざこんなことをさせているのは、いったい誰なのだろうか? 私たちは、本当に“こころ”と“からだ”を別のものだと感じているのだろうか? そもそも「こころとからだがつながっている」というのは自明のことではないだろうか? それをなぜ今さら強調する必要があるのか?

 

 私自身の学生時代や、医師になってからのことを思い返してみたい。
 医学部の学生は六年のあいだに、人間の身体のすべての領域について学ぶ。解剖学、生理学、生化学、病理学などなど。学部の最後の数年間は、内科や外科や眼科や耳鼻科などの臨床の科目について学び、病院や現場での忙しい実習も経験する。しかし医者になるまでのあいだ、内科・外科・精神科などの区別はない。卒業生の90%以上は臨床医となり、さらにそのうちの大部分は「身体科医」となる。建前上、精神科医は人間の「こころの問題や病気を診る」のが専門であり、それ以外の診療科の医師は人間の「身体を生物学的に診る」ということになる。しかし、これはあくまでも医師の側の事情である。患者や家族の視点から見れば、「苦しさ」に“こころ”と“からだ”の区別はない。無理に“こころ”と“からだ”を分割してきたのは一般の人々ではなく、医学のほう、特に医学を専門分化させることを「ただの医者から専門の医者へ」とキャリアアップする手段として利用してきたわれわれなのではないだろうか?

 

自然の摂理がいちばんの優先道路
自然の摂理がいちばんの優先道路

 医師となり、内科医となり、さらに消化器内科医となって膵臓病の専門家となる。しかし、総合病院の自分の診察室の入り口に「膵臓病外来」という看板を掲げておいたとしても、そこに「膵臓」だけが歩いてやってくることは決してない。やってくるのは必ず苦しむ人間である。その人の苦しみは、「膵臓」という臓器だけによって説明されるわけではない。さらに膵臓そのものの問題でさえも、簡単に解決できるものではない。
 膵臓の重要な病気の代表は、膵がんと膵炎である。前者には疼痛や人生の意味や不安へのケア、後者にはアルコール依存へのケア、時には介入が必須である。糖尿病の合併も多く、心理社会的ケアや行動変容についてのスキルも必要である。生物科学的な医学に特化した知識と技術だけでは、膵臓病というごく狭い領域の疾患をもった患者さんへのケアさえも十分におこなうことはできない。
『あなたは、ご自身の状況をどのように理解しておられるのですか?』という質問は、臨床人類学者であるアーサー・クラインマン流に言えば、「説明モデルを問う質問」である。私たちは自分自身がそこにおいて生きているところの状況=世界をどのように理解し、意味づけているのだろうか? 私たちはそれをどう語るだろうか? その出発点に立たない限り医療はスタートしない。そして私たちは、目の前の患者さんがそれを自由に語ることができるような「場」をどうやって創り出していくのか?

 

 ある日、学生Aさんから一通のメールが届く。私の勤務している大学の学生なら誰でも利用できるSNSを通じての相談である。

……S先生、ちょっと相談なのですが、1か月前くらいから、体調がすぐれないんです。毎日ではないのですが、気持ち悪くて、吐き気がする日があるんです。でも、吐き気がするだけで、吐いてはいません。そういう日は、食欲もありません。寝込むとかそこまでじゃないので、たいした事ないような気がしますが、今までそんな事なかったので、ちょっと心配です。また、原因も心当たりがありません。
 返信は先生のお時間のある時で結構です。それでは、よろしくお願いします。

 私は、どう応答すればよいのだろうか? 嘔気・嘔吐は、消化器に由来する症状としてはありふれたものである。そのメカニズム・原因は非常に多様であることを私は知っている。消化器に由来する嘔気・嘔吐もあれば、中枢神経に由来する場合もあり、一刻を争う病態の兆候であることもあれば、ゆっくりと進行あるいは持続する疾患の症候であることもある。摂食障害・不安障害・感情障害などといった、精神障害という観点から命名できる病態に由来する嘔気・嘔吐もあり、そういったラベルがうまく貼れない場合には、身体症状症〔DSM-5〕などという非常に便利な疾患名も用意されている。
 しかし、Aさんは今までにあまり体験したことのない「突然の体調の変化」の真っただ中にいる。Aさんは自分自身の状況を説明できる一貫性のある物語を構築できず、「混沌の物語」の中にいる。実はそれは、相談を受けた私にとっても同様なのである。一人の人間としてのAさんとAさんの世界を、私はまったく知らない。私はキーボードを叩く。

 Sです。返信が遅れて申し訳ありません。今まであまり体験したことのない体調なので、心配になっておられるのですね。よろしかったら、もう少し詳しく状況を知りたいので、以下の質問に、答えられる範囲で教えていただければ幸いです。

  1. )体調の悪さですが、いつ頃から始まって、どんな感じで続いていて、一番最近はどんな感じか、時間を追って教えていただけますか?
  2. )いちばん体調の悪い時には、どの程度生活に差支えがありますか。またそんな時はどうやってしのいでいますか?
  3. )こういう時はわりとましで、こういう時は良くないということがあれば教えてください。
  4. )なんでもけっこうですから、吐き気のほかに、ここがいつもと違うというところがあれば教えてください。
  5. )もしかしたら、こんな病気では? と心配しているものがあれば教えてください。
  6. )とりあえず、こうなったらいいなということは何ですか?
  7. )何でもよいですから、日常生活のことなどを含めて、付け加えておきたいことがあればお願いします。

 私は医学知識については専門家であるが、Aさんが何を体験しているかについては、まったく無知である。Aさんこそが、Aさん自身の病いの――いや人生の――物語の語り手であり、主人公である。ここから、Aさんと私の共同探索の旅が始まるのである。


齋藤清二(さいとう・せいじ)
立命館大学総合心理学部教授
1951年生まれ、新潟大学医学部卒業、医学博士
富山大学保健管理センター長・教授、富山大学名誉教授を経て現職
こころの分野は、消化器内科学・心身医学・臨床心理学
からだの種目は、卓球